2009年12月29日
セールスマン物語<4>
今年もそろそろ終わりですね。
12月31日付で四条の事務所を移転するので、
明日は引っ越しですが今日はお休みをいただき、
家の玄関タイル磨きと趣味の靴磨きにいそしみました。
来年は、すごく楽しかった今年よりまた少し楽しいと、
嬉しいですね。
========================
初安打
大混乱と衝撃と戸惑いの中で始まった、
私の社会人1年目だったが、もちろん楽しいこともあった。
何より職場で年の近い先輩方がとても優しく、
よく一緒に飲みに連れて行ってもらったり気にかけて頂いた。
今更ながら感謝しているし、新参者を温かく迎える先輩の
在り方という面でとても勉強させていただいた。
特に登降園指導といって、全職員で子どもたちの出迎えと見送りを
するのだが、その時にいつも「仕事、営業、どう?」と声を
かけて頂いた温かさを、僕は忘れることができない。
・・・
反面、本業の営業はさっぱりだった。
もっとも売りやすい、と言われた模擬テストの電話勧奨を
していたのだが自分でもトークがキレていないのがわかる。
毎日毎日、業務日報には契約件数「0」が並んだ。
それ以上に、電話の営業トークについて毎度Tさんからのダメ出しを
食らうのもなかなかハードだった。
「琵琶湖の水で顔洗てこい!」と本当によくどなられた。
それでも何度も教えを乞い、自分なりの電話トークを展開するが
ほとんど取り合ってもらえない。
もともと滋賀県自体が公立志向の地域で、今思えば私立受験を
得意とする塾はあまり受け皿が広くなかった。苦戦は当然だった。
ましてや甚だ説得力に欠けるトークで電話をしていたわけで、
すぐに成約になる方が奇跡だったかもしれない。
そして・・・
結果が出ないから、面白くない。
↓
結果が出ないから、休みにくい。
↓
休みにくいから、疲れも取れない。
↓
疲れが取れないから、やる気も出ない。
↓
やる気が出ないから、結果も出ない(最初に戻る)
という負のスパイラルにどっぷり浸かっていて、
たまに本部であった新人研修でもバリバリ活躍する様子を話す同期を
横目に、「俺は運が悪かったな・・・。」と思っていた。
そしていつしか電話だけではらちが空かないので、
「資料だけでも見てあげる。」と言って頂いたお宅に、
1軒1軒パンフを手渡しに行くようにしていた。
※それまでは1通1通手書きで封筒を出していたのだが、
先輩からあまりの字の汚さを指摘され、手渡しに切り替えていた。
それでもお客様が歓迎してくれるとは限らない。
「なんでうちの住所知ってるの?」
「郵送してほしいから郵送でって言ってるのに・・。」
とお叱りを受けることもあった。
本当に営業とはかように地味な仕事なのか・・・
と骨の髄まで難しさと孤独感と自信喪失を感じる日々が、
数か月も続いたある日、疲れきって夕方に事務所(虎の穴)に戻ると、
初老の男性トリオの中でも特に元気なIさんが興奮していた。
私の顔を見るなり、今も鮮明に覚えている表情で、
「君が電話したお宅から、ぜひ一度模擬試験受けたいから手続きに来てやって!
やったな!!早く行ってきな!!早く!!」
とまくし立てた。
そしてその30分後草津市内のマンションの一室で、
生れて初めて震える手で領収書を切った。
汚い字だったが、丁寧に感謝を込めて金額を書いた。
確か¥3,675。
金額は低くても、初めて人様に購入頂いた。鳥肌が立った。
マンション名も、もちろんその中2生のお名前フルネームも、
その日の帰り道にみた夕暮れが特に美しかったことも、きっと一生忘れない。
記念すべき初安打の日であった。
=続く=
12月31日付で四条の事務所を移転するので、
明日は引っ越しですが今日はお休みをいただき、
家の玄関タイル磨きと趣味の靴磨きにいそしみました。
来年は、すごく楽しかった今年よりまた少し楽しいと、
嬉しいですね。
========================
初安打
大混乱と衝撃と戸惑いの中で始まった、
私の社会人1年目だったが、もちろん楽しいこともあった。
何より職場で年の近い先輩方がとても優しく、
よく一緒に飲みに連れて行ってもらったり気にかけて頂いた。
今更ながら感謝しているし、新参者を温かく迎える先輩の
在り方という面でとても勉強させていただいた。
特に登降園指導といって、全職員で子どもたちの出迎えと見送りを
するのだが、その時にいつも「仕事、営業、どう?」と声を
かけて頂いた温かさを、僕は忘れることができない。
・・・
反面、本業の営業はさっぱりだった。
もっとも売りやすい、と言われた模擬テストの電話勧奨を
していたのだが自分でもトークがキレていないのがわかる。
毎日毎日、業務日報には契約件数「0」が並んだ。
それ以上に、電話の営業トークについて毎度Tさんからのダメ出しを
食らうのもなかなかハードだった。
「琵琶湖の水で顔洗てこい!」と本当によくどなられた。
それでも何度も教えを乞い、自分なりの電話トークを展開するが
ほとんど取り合ってもらえない。
もともと滋賀県自体が公立志向の地域で、今思えば私立受験を
得意とする塾はあまり受け皿が広くなかった。苦戦は当然だった。
ましてや甚だ説得力に欠けるトークで電話をしていたわけで、
すぐに成約になる方が奇跡だったかもしれない。
そして・・・
結果が出ないから、面白くない。
↓
結果が出ないから、休みにくい。
↓
休みにくいから、疲れも取れない。
↓
疲れが取れないから、やる気も出ない。
↓
やる気が出ないから、結果も出ない(最初に戻る)
という負のスパイラルにどっぷり浸かっていて、
たまに本部であった新人研修でもバリバリ活躍する様子を話す同期を
横目に、「俺は運が悪かったな・・・。」と思っていた。
そしていつしか電話だけではらちが空かないので、
「資料だけでも見てあげる。」と言って頂いたお宅に、
1軒1軒パンフを手渡しに行くようにしていた。
※それまでは1通1通手書きで封筒を出していたのだが、
先輩からあまりの字の汚さを指摘され、手渡しに切り替えていた。
それでもお客様が歓迎してくれるとは限らない。
「なんでうちの住所知ってるの?」
「郵送してほしいから郵送でって言ってるのに・・。」
とお叱りを受けることもあった。
本当に営業とはかように地味な仕事なのか・・・
と骨の髄まで難しさと孤独感と自信喪失を感じる日々が、
数か月も続いたある日、疲れきって夕方に事務所(虎の穴)に戻ると、
初老の男性トリオの中でも特に元気なIさんが興奮していた。
私の顔を見るなり、今も鮮明に覚えている表情で、
「君が電話したお宅から、ぜひ一度模擬試験受けたいから手続きに来てやって!
やったな!!早く行ってきな!!早く!!」
とまくし立てた。
そしてその30分後草津市内のマンションの一室で、
生れて初めて震える手で領収書を切った。
汚い字だったが、丁寧に感謝を込めて金額を書いた。
確か¥3,675。
金額は低くても、初めて人様に購入頂いた。鳥肌が立った。
マンション名も、もちろんその中2生のお名前フルネームも、
その日の帰り道にみた夕暮れが特に美しかったことも、きっと一生忘れない。
記念すべき初安打の日であった。
=続く=
Posted by 株式会社コミューン 濱中倫秀 at 15:24 │ comments:(0) │ 経営者の日記